子どもの集中力の低さや多動といった特徴があるからといって、それだけではADHDと診断できるわけではありません。前回の記事でも説明した通り、集中力が低くなる原因や、落ち着きなく動き回るようになる原因は、ADHDの他にもさまざまな可能性が考えられるのです。その中には、生活習慣や食生活、親子の関わり方といった面を変えることによって改善できるものもあります。
とはいえ、そういった他の原因を考慮するのは大切ですが、同時に「私たちの子はADHDではない」と親が自己診断してしまうのも危険であることは事実です。というのも、そのような自己診断は、本来ならば受けるべきサポートや治療から、子どもを遠ざけてしまうことにも繋がるからです。
特に大人の社会では、「周りと一緒である」だとか「普通」や「人並み」といった基準に合わせて生きようとする人が大多数です。そんな常識の中で生きねばならない大人の我々からすると、自分の子どもが「周りと違う」とか「普通ではないかもしれない」と考えることは、とても勇気がいるでしょう。しかし、保護者が足踏みして、専門家への相談が遅れたり治療の開始が遅くなればなるほど、子どもの生きづらさはより深刻になってしまうのです。
ADHDの3タイプと臨床的経過
3タイプ
ADHDは日本語では「注意欠陥多動性障害」という名称を持ちます。そして、この名前の通り、症状の特徴から3つのタイプに分けることができます。
・注意欠陥型
このタイプはADHDの中でも多動や衝動性が目立たない人々のことで、ADD(注意欠 陥障害)と呼ばれることもあります。このタイプの子ども(大人も)たちは、特定の物 事に注意を向け続けるのが非常に苦手です。そのため、学校の勉強や宿題などといった 特定の課題に集中して取り組むことができません。しばしば、その姿はボンヤリしてい るように見えたり、怠けているだけと見られてしまうことがあります。この「ボンヤ リと怠けている」という周囲からの勘違いによって、必要以上に叱られる機会が増えて しまいます。この“叱られ過ぎ”が後にもたらす悪影響については、後で言及します。
・多動型
このタイプは、先のADD(注意欠陥型)というより、多動性や衝動性といった症状が 前面に出ています。たとえば学校や病院の椅子では、こうした子どもは常にモゾモゾ、 ソワソワと落ち着きなく身体を動かしており、じっとしていることに苦痛を感じてしま います。そして、常にエネルギーに満ちています。
・混成型
注意欠陥と多動性に関する障害を、同じくらいの程度で抱えているタイプの人のことで す。
どのタイプであれ、これらの症状によって学校生活や友人関係にトラブルを抱えていたり、あるいはそのような報告を教師から受けたことがある場合は、小児科などの専門家への受診をお勧めします。重要な点は、早い段階で子どもを取り巻く環境の風通しをよくすることにあります。というのも、親が我が子に対して「育てにくさ」や「疲れ」といった不安要素を抱えたまま内に閉じこもってしまうと、その分だけ対応が遅れてしまうからです。ぜひ、親御さんは自分たちだけの力でどうにかしようと無理せず、教師や病院の先生とうまく連携して解決策を探す、つまり他の人の手を借りることをお勧めします。
それでは、なぜ早めの対応が必要なのか、臨床的経過を見ながら説明します。
臨床的経過
・乳幼児期
赤ちゃんの頃から睡眠が少なかったり、激しい夜泣きなどによって育児に手がかかります。幼児期は、興味の湧いたものに向かって突進してしまったり、じっとしていられないといった多動の兆候が現れます。多少の言葉の遅れも見られます。
・学童期
低学年の時期に、授業中の着席困難、衝動的な行動、学習の遅れ、忘れ物が多いなどと いった不注意による問題行動が生じます。
・青年期
不注意、抑うつ、自信の欠如、非行。
また、これらの併存症として、学童期以降になると、大人への反抗や抑うつ、非行などが現れる場合もあります。
このような乳幼児期から青年期までの症状の経過は、ADHDを抱える人によくある経過です。ところが、親の目からだけでは「症状」なのか「個性」なのか判断が難しいのが問題なのです。親や教師がどう対応すればいいのかと手をこまねいている内に、子どもは青年期を迎え、社会人として働くようになってから、仕事ができないと悩むようになったりします。そうなってから病院の扉を叩く人も決して少なくありません。ところが、青年期に現れる「抑うつ」や「自信の欠如」を治療することは、子どもの頃よりも一層難しいのです。
というのも、社会人になってから問題に対処しようとすると、不注意や集中力の低さを投薬である程度は改善できるでしょう。しかし、彼らの人格の根っこの部分にある「自信の欠如」をケアするのはとても根気のいる取り組みになると言わねばなりません。なぜなら、彼らの自信や自己肯定感、自尊心といった感覚は、ADHDという困難を抱えながら人生を送る内に、徐々に削られていったものだからです。それなりに長い年月をかけて削れ、低められていった自尊心をすぐさま回復させられるような薬は、残念ながら現時点では存在しないのです。
そもそも、なぜ自尊心や自己肯定感の高さが大切かというと、それが、ADHDを改善し社会で生きていくために最も必要なエネルギーだからです。いわば、高い自己肯定感や地震とは、車を走らせるためのガソリンのようなものです。いくら投薬などでADHDの表面的な症状を一時的に抑えたとしても、どこかに強い自己否定感があると、治療そのものが続かなかったり、治療の過程で起きうる小さな失敗などに耐えられない場合が出てくるのです。
ADHDの改善に欠かせないのは自尊心の高さ
それでは、どうすればADHDを抱える人の自尊心や自己肯定感を高めることができるのでしょうか。それを明らかにするためには、まずは彼らの自尊心はどういう経緯を経て低められてしまったのかを考える必要があります。
先ほど、臨床的経過で書いた通り、ADHDの子どもは幼年期から学童期にかけて、学習面での遅れが目立ち始めます。この時期に、彼らの特徴的な症状である落ち着きのなさや注意力の低さは、大人を苛立たせる叱責の種になりやすくなります。つまり、疾患だから勉強ができないのではなく、単純にダラダラしているから勉強についてこれないのだと勘違いされてしまうのです。そのため、子どもは自力ではどうにもできない症状について怒られてしまうことになります。
こうした、大人側のお門違いな叱責や、「普通」でいて欲しいという願望は、子どもにとっては強いストレスになります。そして、「自分は普通よりも出来ないダメな子どもなのだ」という自分自身へのネガティブなイメージの形成へと繋がってしまうのです。それが次第に「どうせ自分は出来ない」という強い自己否定として固まり、理不尽に自分を責めてくる大人たちへの不信感と怒りから、反抗へと向かうようになります。
ひとたび反抗へと態度が切り替わってしまうと、この段階で専門的なサポートをしようと手を差し伸べても、彼らはなかなか大人を信用することが出来ません。つまり、自分に必要な治療さえも、被害的に捉えてしまうのです。もちろん、そこからの改善も不可能ではありません。そうはいっても、やはり彼らの自尊心を傷つけず、自己肯定感を高めてやることが大切で、そのためには大人からの介入は早いほど対処しやすいと言えるでしょう。
愛情と信頼
子どもは、年齢などによって程度の差はあるにせよ、誰しも常に周囲の大人からの手助けを必要としています。それは、具体的な行動の面に限った話ではありません。子どもは、彼ら自身の自尊心も、大人たちの手助けによって形作るのです。親に愛されること、教師に褒められること、自分の気持ちの味方になってくれる大人がそばにいること。そういった、大人たちからの精神的なサポートを受けて、ようやく彼らの自己肯定感は高められ安定するのです。
もしも、子どもがADHDかもしれないと思った時は、症状をどのように治療すべきかはまず専門家に尋ねるのが一番です。そして、具体的な改善のための取り組みは、当教室の専門のスタッフが担うところです。しかしながら同時に、親だからこそできる取り組みとして、愛着の形成や信頼関係を強く保つことがあるのも、決して無視できないサポートの一側面なのです。