発達障碍の後天的な要因
前回の記事では、主に精神医学の歴史に目を向けることで、社会が発達障碍をどのように捉えてきたかを説明しました。
その中で、発達障碍は「素因と心因の掛け算」によって起こると述べました。
「素因」とは、個人が先天的に持っている器質的な特徴であり、いわば先天的な個人差や体質の差のことです。
「心因」とは、個人が環境の中で受けるストレスのことで、後天的に体験するものです。
ここまでは前回説明した内容のおさらいです。
それでは、今回はこの「心因」について詳しく見ていきましょう。
まず、そもそも論として「ストレス」とは何でしょうか?
みなさんは、自分がどのような時にストレスを感じたと思いますか?
ストレスとは、もともとは物理学の言葉で、「物が外から圧力を受けることで起きる歪み」という意味で使われていました。
その意味を、カナダの生理学者ハンス・セリエ博士は、動物や人間にも当てはめて考えました。そして、1936年にセリエ博士が「ストレス学説」を発表してから、ストレスは人間だけでなく動物も含めた生物全般に対して広く用いられる言葉として一気に有名になったのです。。
この学説は、外からの刺激を「ストレッサー」(ストレスの原因)と呼び、次の四種類に分けて考えました。
1.物理的ストレッサー:暑さ、寒さ、騒音など
2.化学的ストレッサー:薬物、化学物質、酵素など
3.生物的ストレッサー:細菌やウイルスに感染したり、炎症を起こすことなど
4.心理的ストレッサー:怒り、悲しみ、緊張、不安など
生き物はこれらのストレッサーに晒される、つまり「ストレスを受ける」と、なんとか刺激のある環境に対応して正常に戻ろうと、身体がさまざまな反応を起こすというのです。
この学説自体は古く、今では細かな間違いも指摘されているのでこれ以上の深入りはしませんが、それでも大まかな理解としては、この学説が今日の私たちの「ストレス」のとらえ方の基礎になっていると考えられます。
たとえば、私たち人間は寒い場所にいると身体がブルブル震えますし、暑い場所にいると汗をかいてしまいます。それは私たちが「よし、今から震えよう!汗をかこう!」と意識して行なっているのではなく、暑さ寒さといったストレスの原因に対して、身体の機能を維持しようとする自動的なはたらきなのです。(ちなみに、このはたらきには「恒常性維持機能(ホメオスタシス)」という正式な名前があります。)
みなさんの中には、ストレスの多い職場で働いて心身共に健康を損ねてしまった経験がある方もいるのではないでしょうか?
大人であれば、長時間労働や、それによる慢性的な疲労、対人関係での気遣いなどなど、さまざまなストレス原因が思い浮かぶ人もいるでしょうし、それがやがてうつ病や不眠といった症状に発展することも容易に想像できますね。
外からの刺激に対してなんとか適応して頑張って無理を重ねてしまうこと、それらこそが「心因」です。
大人になってからADHDなどの発達障碍だと診断を下される人の中には、就学や就労といった環境の変化に伴うストレスが、もともと持ち合わせていた素因に掛け算されて、発病に至るのだとも考えられます。
ストレスと子ども
子どもたちにとってのストレスとはどんな状況でしょうか?
何か具体的な場面は思い浮かびますか?
自分の子どもや教え子のことを考えてもいいし、自分自身が子どもだった頃を思い出してみても構いません。
子どもがストレスに晒されるとは、大人と同じく子どもの心身に負荷がかかり健康が損なわれようとしている状況のことです。
まず、その中でも最も分かりやすいのは
・栄養不足
・睡眠不足
・運動不足
この三つです。
当たり前のことなのにも関わらず、しっかり栄養のあるものを食べる、規則正しく眠る、外に出て身体を動かして遊ぶ、という基本的なことが守られていない家庭は意外と多いのです。
「うちは大丈夫!」と自信を持って答えられますか?
それとも、「大丈夫かな…?」と不安を感じますか?
それでは、栄養、睡眠、運動について、今、日本で生きる子どもたちの間でどのような問題が起きているか、それぞれ詳しく見ていきましょう。
日本の赤ちゃんはお母さんのお腹にいる時から栄養不足!?
それではここでクイズです。
Q.赤ちゃんが生まれる時の体重は何グラム以上が理想?
①2000グラム以上
②2500グラム以上
③3000グラム以上
正解は②ですね。
みなさんは、自分のお子さんが生まれた時に何グラムだったか覚えていますか?
2500グラム以上あれば、ひとまず生まれた時点での栄養は足りていたと言えます。
しかし、OECD(世界経済協力機構)の調査によれば、日本では、赤ちゃんの生まれた時の体重が2500g未満という「低出生体重児」の割合が、ここ三十年以上ずっと増え続けているのです。
日本は、戦後の混乱もおさまり環境がどんどん整っていく中で、病院へ通いやすい社会に成長することができました。
そのおかげで、妊婦さんもしっかりと栄養をとれるようになり、1970年代半ばには低体重の赤ちゃんの割合が全体の5パーセント程度にまで減りました。
ところが、その頃と比べると、2011年までに低体重で生まれる赤ちゃんの割合は2倍に増えてしまったのです。つまり、今は赤ちゃんの1割が生まれた時に低体重ということになります。
昔よりも人々の暮らしは豊かになったはずなのに、なぜこのようなことが起きるのか、考えられている原因はいくつかあります。
1.出産年齢の高齢化や不妊治療による多胎妊娠
女性の出産年齢が高くなるに連れて、不妊治療を受ける方も増えました。妊娠の確率を上げるために一度に多くの卵子を身体の中で育てる方法を取れば、双子や三つ子など一度に多く妊娠できるようになります。
双子や三つ子は身体が小さく生まれることが多くなります。
2.医療技術の進歩
帝王切開や陣痛誘発といった出産の技術が進歩することで、昔よりも低体重の赤ちゃんの生存率は高くなりました。
3.妊娠中のタバコ
妊娠中にタバコを吸っていた人は、吸わなかった人に比べて低体重の赤ちゃんを出産しやすいとの報告もあります。
4.妊婦さんの無理なダイエット
日本では、特に女性は「太ってはいけない!」という強い思いを持っている人がとても多いですよね。少し食べ過ぎたくらいで「ダイエットしなきゃ!」と焦り、ごく普通の体型の女性も「太った〜」と悩みます。そして、必要以上に体重を気にします。
このように、女性の中には細い身体を求めるあまり妊娠中に体重が増えることも許せず、過度なダイエットをしてしまう方もいます。その結果として栄養の足りていない妊婦さんが低体重の赤ちゃんを生むことに繋がってしまうのです。
このように、意外にもお母さんのお腹の中にいる頃から栄養状態が悪い環境に置かれている子どもの割合は増え続けています。
大切なのは量より質!たくさん食べても栄養は足りていない子どもたち
私たちはたとえ夜中であってもちょっとコンビニに行けばすぐに食べ物が手に入るとても便利な環境で生活しています。
なぜ、それほど手軽で便利な食事があふれているのかというと、日本の大人たちがそういう食べ物に頼らなければならないほど忙しい生活をしているからです。
はたして、子育てでドタバタした毎日を送っているお母さんたちは、のんびり夕食のメニューを考えて、ゆっくり買い物に行き、じっくりと丁寧に手の込んだ料理を作るヒマが一週間のうちどれだけあるでしょう。
忙しい時や疲れている時などは、とりあえずあり合わせの食材でお腹がいっぱいになるような献立にしてしまうこともあるはずですし、場合によっては作れない時もあるでしょう。すると、濃いめの味付けがされている外食やジャンクフードに頼ってしまいがちです。
大人の生活習慣は子どもたちもダイレクトに影響します。同じ環境下で生活していればすぐに濃い味を覚え、一度それに慣れてしまうと、たとえ栄養が豊富でもそっけない味の野菜などを嫌がり、偏食になってしまうものです。
このように、カロリーはオーバーしているのにタンパク質やビタミンやミネラルなど栄養素が不足しがちな食生活をしている子どもたちは少なくありません。
子どもたちの夜更かしは危ない
2009年にOECDが加盟国の睡眠時間の統計データを発表しました。それによると、日本人は国際比較で見ても睡眠時間が短く、平均で8時間を下回っていることが分かっています。
それでは子どもたちはどうでしょう。驚くべきことに、日本では3歳以下の子どものおよそ40%近くが、夜10時すぎに寝ているのです。世界的に見ても日本の子どもたちは半数近くが夜更かしになりがちなのです。
しかし、これは考えてみれば当然のこととも言えます。
まず大人たちが夜遅くまで働いていますよね。仕事が長引けば家でしなければならない雑事も遅い時間にずれ込みます。大人の生活時間が深夜にまで及ぶと、その生活習慣に引きずられるようにして、子どもたちの寝る時間も遅くなってしまうのです。
特に、乳幼児期の子どもたちは「寝なさい」と一言いえば勝手に寝室へ行って自力で眠ってくれる訳ではありません。多くの家庭では寝かしつけをしているはずです。この寝かしつけは意外と大変なので、子どもたちだけ先に寝かせるのも一苦労、というのが忙しい保護者たちの現状ではないでしょうか。
こうして、仕事や家事に追われているうちに気づけば子どもの寝る時間が遅くなってしまうのです。これが、日本の子どもたちに夜更かしがとても多い理由の一つです。
「なんとなく」夜更かしが当たり前な子どもたち
全国の小学生、中学生、高校生を対象とした夜更かしに関する調査では、「最近、睡眠不足を感じている」と答えた生徒が全体の半数近くもいたのです。そして、夜更かしをしてしまう理由としては「なんとなく夜更かししてしまう」と答えた子どもが最も多いという結果になりました。中高生の間では半数以上がこの「なんとなく夜更かし」に当てはまっているのです。
小学生の間では「家族みんなの寝る時間が遅いので寝る時間が遅い」と答えた子どもの数が「宿題や勉強で寝る時間が遅くなる」という回答と同じくらい多く、男の子で40%近く、女の子でも約30%の子どもがそのように答えています。
(出典:「平成18年度児童生徒の健康状態サーベイランス事業報告書」財団法人日本学校保健会 2008年)
ここで、0〜3歳の時点で夜10時以降に眠る子どもの割合が40%近かったことを思い出してみて下さい。
幼い頃から大人の生活スタイルにつられて遅くまで起きている習慣のついた子どもたちが小学生になれば、やはりその後も家族の夜更かしにつられて自分も遅くまで起きていると考えられます。つまり、生まれてから12歳になるまで、ずっと夜更かしによる睡眠不足で生活しているからこそ、中高生になって「なんとなく」という回答ができてしまうのです。
夜眠る時間が遅くなると、朝スッキリ起きることができなくなります。
朝うまく起きられないと、今度は朝ごはんを食べる気分にもなれません。その結果、お腹が空いた状態で保育園、幼稚園、学校などに行くことになります。
空腹では遊ぶ元気も出ず、勉強に集中する力も出ません。
つまり、睡眠不足は栄養不足に繋がり、それがさらに集中力の低下を招くという悪循環があるのですね。
運動不足で目が悪くなる?
文部科学省の2006年の調査によると、ここ10年で特に幼稚園生や小学生といった低年齢の子どもたちの視力低下が進んでいるという結果が出ています。
視力が1.0未満の子どもたちの割合は、幼稚園児で24.1%、小学校28.4%、中学校50.1%、高等学校58.7%と、年齢が上がるにつれて視力の低い子どもたちの割合が多くなっています。特に、高等学校では視力が0.7未満の子どもが44.4%にのぼります。
つまり、高校生のクラスでは生徒の半分はメガネかコンタクトレンズを必要としています。
原因は、目の使いすぎです。
外で遊ぶよりも家でテレビを見たりゲームをしたりなんて光景はもはや珍しくありません。
最近では、小学生にもなると子どもたちは一人一台ずつ小型のゲーム機を持って公園に集まりますし、ひとりでパソコンに向かってインターネットの動画を観るなど目を酷使しています。
そして、勉強も目を酷使する原因の一つです。
スマホ育児は良い?悪い?
テレビ、ゲーム、パソコンに続いて最近よく話題になっているのがスマートフォンですね。
特に、最近よく話題になっている「スマホ育児」に関しては、「子どもたちのインターネット利用について考える研究会(子どもネット研)」が、2016年に次のような調査を報告しています。
・1歳児の4割、3歳児の6割がスマホなどの利用を経験し、その頻度も5割が「毎日必ず」または「ほぼ毎日」と、スマホなどが未就学児の日常に深く入り込んでいる。
・7割以上の保護者が自ら「使い方のお手本」を意識している他、6割以上の保護者が「子どもに必要な睡眠の目安やコンテンツとの付き合い方」について大まかには理解している
・「子どもに利用させること」について9割以上の保護者が何らかの不安を感じている反面、より具体的な判断材料についての知識・理解は不十分な保護者も少なくなく、保護者の8割は学習の必要を感じている。
出典:「子どもたちのインターネット利用について考える研究会」ホームページ https://www.child-safenet.jp/activity/2657/
さて、子どもネット研は、この調査結果によって、特に0~6歳までの未就学児の間でスマホやタブレットなどの情報通信機器利用が増加していることを明らかにしました。その上で「多くの保護者が何かしらの不安を感じながらも、いわゆる「スマホ育児」とは無縁ではいられないことがわかりました」と述べています。
保護者が感じている「不安」の中で最も多かったのは「目が悪くなることや、視力発達への影響」で、59.2パーセントでした。
一方で、「情緒面やコミュニケーション能力、脳への悪影響」に関しては19.7パーセントが不安を感じており、「運動能力発達への影響」は15.7パーセント、「睡眠不足になること」は13.6パーセントといずれも低く、どうやら視力以外の発達への影響に対しては保護者の心配は少ないようです。
もちろん、子育てをする中でスマホなどに頼る場面があったとしても、それを理由に保護者を責めるのは、少し感情的に過ぎるでしょう。
保護者が怠けているからスマホ育児になってしまうというより、それだけ育児をサポートする手が足りていないのです。
とはいえ、ここでは保護者に対する非難ではないという大前提の上で、主に脳科学的な観点から未就学児のスマホ利用によって、子どもが受けるストレスついて考えてみましょう。
素早く切り替わる映像は脳に悪い
スマートフォンの最大の特徴は、大きな画面です。そして、その画面を指で軽くなでれば簡単に映っているものを切り替えることができることです。
実は、この「画面に映っているものが素早く簡単に切り替わる」ことは、まだ成長途中の子どもの脳には悪い影響を及ぼすリスクがあります。
なぜなら、画面の素早い切り替わりは「過刺激」と言って、子どもたちの目を捕らえて離さないからです。
仮に、幼い子どもがテレビやパソコンやスマホの画面をジッと見つめているとしましょう。
その子どもは、その映像を自分の意志で「見たい」と思い、自分で興味を持って考えながら見ていると思いますか?
もしも、そこに映っているのが次から次へとどんどん違うものに変わっていくような、動きの激しい映像であれば、答えはノーです。
子どもは、自分から「見たい」と思って見ているのではなく、ただ単に映像の刺激の強さから目を離せなくなっているだけです。目を奪われているとも言えるでしょう。
そもそも、切り替わりの早い過刺激の映像に対して、脳の前頭前野はついていくことができません。
前頭前野とは、頭の前方、おでこのあたりの脳の部位のことです。この部位は一部の猿や人間だけの間で発達した新しい脳の部分で、複雑な問題を解決したり、難しい考えごとをしたり、何か新しいものを発明したりする時に使われます。ここが人の人間らしさに最も重要な場所です。
しかし、目の前で過刺激が起きると、人間らしさをつかさどる前頭前野の機能は低下してしまいます。
代わりに、過刺激に反応するのは脳の原始的な部分、大脳辺縁系と脳幹です。これは、呼吸や運動といったどんな動物の頭にもそなわっている部位で、生きるために必要な本能的な行動をとる時に使われます。
つまり、次々と切り替わる映像を夢中になって見続けている子どもは、何も考える余裕もなく本能的に刺激に反応しているのです。
人間らしさを育てることはできないどころか、人間性を低下させているわけです。
そして、この素早く切り替わる映像と同じ理由でリスクを持つものが、高速フラッシュカードです。
早期英才教育の中でも人気の高速フラッシュカードは、子どもの目の前で単語や絵などの書かれたカードを素早くめくって、次から次へと絵を見せて記憶させるという教育方法です。
もちろん、高速フラッシュカードを知育教材として使って、お子さんの頭が良くなる可能性もあります。ただし、友達の子どもが高速フラッシュカードでうまくいったからといって、自分の子どもも同じ方法を取れば良いとは限りません。
なぜなら、繰り返し説明している通り、発達障碍の原因は「素因と心因の掛け算」だからです。
もともと、過刺激に強い素因を持っていれば、高速フラッシュカードを使ってもその子の発達に問題は出ないでしょう。しかし、過刺激に弱いタイプの子どもであれば、同じ教材が強いストレスとなって、発達を妨げるリスクとなるのです。
ましてや、私たちが今使っているような画面の大きいタッチパネル式のスマホは、まだ誕生してから20年もたっていません。とても歴史が浅いのです。ですから、幼い頃からスマホをいじって育った子どもが、成人後どうなるかはまだわからないのです。