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ADHDとADDはどう違うのか、同じ障害なの?

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ADHDとADDは、どちらも同じ障害なの?

 

 もしもあなたが、ADHDとADDの違いを誰かにたずねられたら、どのように説明するでしょうか?

 

 そもそも、ADHD、ADDといった病名は、アメリカ精神医学界が作っているDSM(精神疾患の診断と統計のためのマニュアル)という本に載っている呼び名です。DSMとは、精神科医や臨床心理士、教師など、人の心の状態やその治療、ケアに関わる全ての人が使う辞書のようなものです。その内容はとても専門的で量もとても多いのですが、精神疾患の全てが解説されており、この本を頼りにしなければたとえ専門家であっても診断や治療や研究ができないほど、広く浸透していす。

 

 DSMが最初に作られたのは1952年ですが、その間に何度か改定や修正を繰り返し、現在はDSM-5(マニュアル第5版)が最新のものとなりす。それによると、かつてADHDやADDと呼ばれていたものは、現在では「注意欠陥/多動性障害(Attention-Deficit / Hyperactivity Disorder : AD / HD)」という書き方が正式なものとなっていす。

 

 ということは、やはり「AD/HD」が正しい呼称なのであって、「ADD」という状態は、Hyperactivity(多動)を伴わないだけで、「AD/HD」の一部と考えればよいのでしょうか。

 事実、多くの人が「ADHD」と「ADD」をほとんど同じものとみなしているようです。それも無理のないことで、歴史を振り返ってみても、ADHDとADDの定義はここ30年の間に何度か手が加えられてきたのです。

 

 先ほど述べた通り、DSMが最初に出版されたのは1952年ですが、それを第1版として、1968年に第2版が、ついで1980年に第3版が出版されした。この第3版で、精神医学の診断方法が大きく改善されたことで、DSMは広く受け入れられるようになりした。

 実は、このDSM第3版が世に出た当時、「ADHD」だ正式な呼び名ではなかったのです。むしろ、「ADD(注意欠陥障害)」という名前こそが正式なものでした。つり、この時代は、だ「多動」は典型的な症状とはみなされていなかったのです。

 

 1980年(DSM第3版の時代)

 「ADD(Attention-deficit disorder)」すなわち「注意欠陥障害」を正式な名称とし、その中での分類として、「多動を伴うADD」と「多動を伴わないADD」という大きな二つの分類に分けられていた。

 

 1987年(DSM第3版の改訂版が出される)

 この年に、第3版の改訂版が出版され、改めて「ADD(注意欠陥障害)」は「ADHD(注意欠陥多動性障害)」と名称が変更されした。

 このことから、注意欠陥障害には「多動」が典型的で特徴的な症状であると認められたことが分かりす。

 

 1994年(DSM第4版が出版される)

 この年に、DSM第4班が出版され、「ADHD(注意欠陥多動性障害)」は「AD/HD(注意欠陥/多動性障害)」と呼び名が変更されす。この「AD」と「HD」の間に入る「/(スラッシュ)」にはそれなりに大きな意味があって、これによって以下の通りタイプを3つに分けることが示されているのです。

 

 タイプ1:注意欠陥と多動の双方を併せ持っている

 タイプ2:注意欠陥が優勢なタイプ

 タイプ3:多動や、衝動性の高さ、感情的な面が優勢なタイプ

 

 2013年(DSM第5版が出版される)

 私たちの生きる現在の社会で使われているのは、この第5版になりす。前の版では「type(タイプ)」と呼ばれてきたものが、この版では「presentation(現れ方)」と書かれるようになった点は変わりした。しかし、注意欠陥と多動の双方が同じくらい現れるのか、注意欠陥が優勢か、多動が優勢か、という3つの分類の仕方はそのです。

 もうひとつ、第5版からは、大人の「AD / HD」にも診断が適用しやすいように、診断基準の年齢が引き上げられたことです。つり、それは、現代社会では子どものAD/HDだけではなく、成人後のAD/HDへの注目もより高っていると言えるでしょう。

 

「ADD」という呼び方はもう使えないの?

 

 ひとず、そんなことはないはずです。多くの医者や研究者、その他にも発達障害のケアにたずさわってきた人々であれば、「ADD」は多動や衝動性を伴わない注意欠陥の症状が顕著なタイプだということを理解してくれるでしょう。それほど、AD/HDの理解や解釈の仕方は、研究が進むにつれて少しずつ進化してきているものであり、ずっと同じでいる可能性の方が低いとさえ言えるかもしれん。

 

 これは特に大人の注意欠陥が顕著なAD/HDの方の実感として、「多動」や「衝動性」を自分の症状に当てはめて考えても、しっくりこないという人は多いようです。それもそのはず、やはり「多動」と聞いて真っ先に浮かぶイメージは、落ち着きがなく飛び跳ねたり部屋中をウロウロ歩き回ったり、すぐさどこかへ走り出してしう子どもの姿である場合が多いようです。確かに大人でも衝動的な人はいるでしょうが、そういった人であっても、彼ら自身が子どもだった頃に比べたら「あの頃よりは落ち着いた」という実感があっても不思議ではありせん。そういった当事者の感覚が、AD/HDという呼び方への違和感に繋がるのは、ある意味当然なのかもしれせん。

 

 しかし、多動や衝動性の高さも考慮に入れたい場合は、やはりAD/HDという呼び方をした方が通じやすいでしょう。いずれにせよ、AD/HDへの理解をより深めるためにも、呼び名がどう変化してきたのかと、その理由を知ることは無意味ではないはずです。 

 

多動を伴(ともな)わないAD/HDも見過ごすことはできない

 

 専門家から診断を受けているかどうか、という話をひとず脇に置いてみしょう。公園や公道など街中の子どもたちは、誰もが多かれ少なかれ落ち着きなく多動に見えす。目が離せず、注意しないと怪我や事故につながるのではないか、そんな風に大人を心配させる子どもたちはたくさんいす。しかし、そんな彼らが全員AD/HDなのかといえばそうではありせん。いずれ成長していくにしたがって、彼らの多動や落ち着きのなさ、衝動性の高さは“それなりに”落ち着いていくものと考えてもよいのです。それは、AD/HD当事者でさえ、人によってはある程度は当てはることです。

 問題は、たとえ衝動性や多動や目立たなくなってきたとしても、その他の症状だけで日常生活に困難を抱える人もたくさんいるということです。「ADD」という言葉がいだに廃(すた)れてしわないのは、多動がなくても大変な思いをしている人が多いからとも言い換えられるでしょう。

 たとえば、多動のないAD/HDの子どもであれば、授業中はむしろ大人しく、学校生活面でも静かで、一見すると「落ち着いた」「真面目な」子どものように教師の目にはうつるでしょう。ところが、彼らは実際は、授業中の集中力が低く、ぼんやりしていたり、他のことに気が散っている場合が多いのです。そのため、予想よりも成績が悪かったり、同じミスを何回も繰り返して覚えることが出来ないなど、学業面での「苦手」が多いことが徐々に明らかになってくるのです。

 この特性は、大人のAD/HDにもしばしば見られることです。別に不真面目な社員には見えないにも関わらず、同じミスが多い、何度注意されても直らない、といった場面が増えるのです。そのため仕事が長続きせずに転職を繰り返す、といった状況に追い込れてしう人は少なくありせん。

 

 多動のないAD/HDの場合、その特徴的な姿としては、机やロッカー周りが散らかっていたり、整理整頓が苦手で部屋が汚いといった様子が目立ちす。他にも、遅刻が多かったり、約束や期限を守れないことも少なくありせん。彼らは、単に怠けているだけ、だらしないだけと勘違いされやすい存在でもありす。た、教室や職場では、パッと見ただけでは目立たない存在であるため、彼らが抱える症状に周りが気づくのも遅れがちです。何より、本人も長いこと自分がAD/HDであることに気づけずにいる場合も多いのです。

 確かに、同じAD/HDでは、やはり多動(Hyperactive)の方が目立つし、矯正するのに手間がかかりそうに見えすから、相対的に「地味」な「“H”のないADD」は見過ごされがちになるのも無理はありせん。

 しかし、多動があろうとなかろうと、AD/HDもかつて「ADD」と呼ばれていたものも、同じ中枢神経系の機能障害なのです。ですから、早期発見と早期介入は、どちらにも必要です。

 

 もしも、お子様が片付けが苦手で机の周りや部屋が散らかっている、などの「個性」を持っている場合は、一度「多動を伴わないAD/HD」を疑って、専門家に相談しに行くことをおすすめしす。対処法は薬物療法だけではありせん。

 

キッズデベロッパーは、子どもたちひとりひとりの症状に目を配り、適切なケアを施すための施設です。

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